うちの近辺も、新しい住宅が、かなり建ちました。
が、ほん近所は昔からの地の人達が住んでいます。
それで、この近所に今もまだ残っている風習を、今日は紹介したいと思います。
このブログを見て頂いている大半が、奈良にお住まいの方だと思うのですが、、、
奈良の方なら、よくご存じの
『庚申講』です。
うちの近隣5軒ほどで、今だにほそぼそと地味に続いてるんです。
普段は、『庚申さん』と言ってます。「来月うちが庚申さんやな。」という具合です。
これで何をしているのかというと…、、この庚申さんを各家に順番にまわして、
庚申の日に当番の家に集まって寄り合いをするのです。
この暦で庚申の日を各自調べて、
忘れないように各家に連絡を入れます。
当日までに前の人の家に取りに行くの
を忘れてはいけません。
それではちょっと失礼。お写真撮らせて頂きます。
頭を突っ込んで覗き込まないと見えないのでじっくりお姿
拝見した事ありませんでした。
それに子供の頃は何だか不気味で近寄れなかったですし…

お~!怖いお姿(>_<)
とっても怖い形相をしてらっしゃいました、、、
←
クリックで拡大可出席者の名前や、何を購入したかなど記載された、記録帳が残っています。
残っている中ではこれが一番古いものでした。
「享和元年」と書いてあります。
享和元年は西暦1800年です。
この時の将軍は徳川家斉。
同時代の主な出来事は伊能忠敬が蝦夷地を測量したのが1801年。
十返舎一九 『東海道中膝栗毛』 初篇が1802年。世界ではナポレオン皇帝即位が1804年です。
当時は、豊作を祈って飲めや食えやと一晩明かしたのでしょうか…
今現在は5軒の家で回していますが、過去の記録帳をめくってみると、
もう少し参加している家は多かったです。その家の主が出席します。
数年前までは色々振舞っていましたが、年々簡素化されて今では
出すのはお茶菓子くらい。夜8時始まりの、10時にはお開きです。
それに豊作を願うと言っても、現在は農業で生計を立てている家は
どこもありませんから、話す内容は単なる世間話だけみたいです。
この館?(お家?)に入った庚申さんというのが珍しいらしく、一度どこかの資料館に
貸し出して展示されたことがあったそうです。
今の所、「庚申さんを打ち切ろう」という話は誰からも出てないらしいです。
はてさて、この先いつまで、続いて行くのでしょうか…?
1. 無題
すごいですね、今でも持ち周りでやっておられるのですね・・・
私の処も(最初住んでいた場所では)御大師さんが、各家の
持ち周りで・・家に運んで広げて・・お祀りして・・・
また次の日。講に入っておられる家に、持って行く・・
そんな、祀り方がありましたよ、庚申さんとよく似てますね!
出来れば、長く続いてほしいと思います。
新しい住宅地など、ない事なので・・・